猿丸神社(さるまるじんじゃ)-2

猿丸神社(さるまるじんじゃ)


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京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺にある猿丸神社に伝わる絵馬(正保2年・西暦1645)には、禅定寺地区の氏子中が社殿を建立したとあります。
 その頃、当社を参拝した伏見・深草住の日蓮宗高僧・元政上人は、「有猿丸祠。此亦大夫遊處之地。而村民奉祀也」『扶桑隠逸伝』と書き残しています。
「猿丸」が「去丸」とされ、こぶなどの「できのもの」に霊験ありと信じられ、明治期に入って参詣人は益々増加したと伝えられています。
明治18年に従来の社を改築したら、参詣人は益々増加したといわれています。
明治21年(1888)3月30日、聯合戸長清水徳右衛門の副申を経て、禅定寺、猿丸社受け持ち・岡兵吾、村総代・信徒総代名で建築願を京都府知事に提出しました。
猿丸神社社務所休憩所建築願
山城国綴喜郡禅定寺村之内字粽谷第四拾四番地
一、 宅地反別 一畝二五歩 民有地第一種持主村中
二、 此の地価 金弐円四拾八銭九厘
三、 此地租金 六銭弐厘
右地内に鎮座セル猿丸神社詳細
京都府管下山城国綴喜郡禅定寺村字粽谷 無格社 猿丸社
一、 祭神 猿丸大夫命
一、 由緒 不明
一、 社殿 正面壱尺一寸、側面八寸
一、 境内 五十五壺 民有地第一種 持主村中
一、 信徒 四百八拾人
管轄庁迄 七里拾五町
受持 春日村祠掌 岡 兵吾
明治二十壱年三月二十七日
京都府綴喜郡禅定寺村第八十一番戸平民
           猿丸社受持 岡 兵吾
京都府綴喜郡禅定寺村第七番戸平民
           村総代 竹岡幸吉
京都府綴喜郡禅定寺村第八十四番戸平民
           信徒総代 西谷猪之助
京都府綴喜郡禅定寺村第六十八番戸平民
           信徒総代 藤永倉之助
京都府綴喜郡禅定寺村第三十番戸平民 信徒総代 西出伊助
京都府知事 北垣国通 殿
一ノ鳥居

11月~12月、駐車場から一ノ鳥居をくぐって本殿へ抜ける林道は、猿丸大夫が「奥山に 紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき」(小倉百人一首)と詠った風景そのものです。人里離れた奥山の知る人ぞ知る小さな紅葉の名所です。

御本殿
御祭神の猿丸大夫をお祀りしています。本殿前には一対の神使である石像の猿が座しています。
40余年前に御祭神末裔の猿丸家と親戚・大野木家の奉納したものです。

後祭神 猿丸大夫故址
後祭神の猿丸大夫を顕彰する石碑です。
昭和3年に京都在住の三宅安兵衛が、遺志建立したものです。御前の石鉢は、祭日に御神水を参拝者に供します。

木のこぶ

御本殿には、数多くの木のこぶが奉納されています。
身体の出来物や、瘤を取っていただいた人・種々の病気が治って お蔭を受けた人が、その御礼に奉納したものです。
参拝の人は、木のこぶを手に取って身体の患う場所を、撫でたりさすって身を清めて癒し、病気と闘う力をいただきます
表参道

駐車場より一ノ鳥居をくぐって自然舗装された道を進み、裏参道石段下を右に廻ると表参道石段前。
両側に、鳥居代わりに植えられた百数十年の桧がそびえる石段を上ると、右手に手水舎があり、自然石の夫婦猿が迎えてくれます。新緑や紅葉の頃は特別の風情があります。

絵馬・猿みくじ
従来の猿丸大夫に木のこぶをあしらった図柄の絵馬とは別に、 丙申年を期して新たに「猿顔絵馬」が登場しました。
願いが込められたいろいろな猿の顔が描かれて、実に微笑ましい絵馬がかけられています。
また、やきものの「猿みくじ」も人気があります。



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