田原天皇(施基皇子)伝承-3

田原天皇(施基皇子)伝承-3


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この伝承には正史の上では表されていないのですが、宇治田原の伝承にある施基皇子の遺跡について、調べたことをお伝えしたいと思います。
 まず、高尾の邸宅跡は、高尾の西北端の一番高いところ、標高約400mの東西に長い、比較的平坦な地の続く場所で、西は急斜面になっていて宇治川に落ち、東は緩やかな平地が徐々に登りとなって大峰山に続いています。南は大きな谷になっていて、荒木、郷之口の各々の谷に分かれています。

頂上の平坦地には「王院の馬場」「小院の馬場」と称される馬場跡があり「王院の馬場」は長さ約300m。  それより西下方の「小院の馬場」は約100mあり、施基皇子が馬の調練に使用したと伝えら、今も土地の両肩が少し高くなっていて昔の姿をとどめています。

 屋敷跡はこの馬場より北へ約2~300m行った、頂上より少し低いところにあると言われています。
高尾の古老の話を記すと屋敷跡は北東の山を少し削った約2,000㎡の面積の場所で、上、下二段からなる平地です。周囲は小石を、敷き溝を掘って排水の便が施されており、土塀の一部も残っているとのこと。
昔は時々、古瓦が出土。当時の王家にふさわしい邸宅跡を今にとどめているということです。

施基皇子は何人かの召使や従者、妃などと共に生活を楽しんでおられたようで、いわゆる世を捨てた隠棲ではなくて、ここから各地へ気の趣くままに出かけ、また藤原京の宮中へも参内しておられたと考えられます。
 また、後年の平城京、その東の聖域に当たる春日山山麓に邸宅を構え、従妹の忍壁皇子の妹の多紀皇女を妃とされて住まわれていました。



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