田原天皇(施基皇子)伝承

今上天皇のご先祖に当たる施基皇子(志貴皇子)が宇治田原にお住いだったことを、当地の皆様もご存知ないかたが多いと思います。
施基皇子は万葉集でも多くの秀歌で高名なお方です。
宇治田原の歴史を語る上に於いて、すべての神社仏閣を超えての存在をお伝えすることが大切なことだと考え、伝承も含めて記述させて頂きます。
施基皇子は皇統38代の天智天皇(在位668~671年)の第7皇子。
母は当時、北陸大豪族の越道君の娘、
越道君伊羅都売と言われています。
皇子は宇治田原の地で薨去され、皇子の湯原王(第2子)がお墓のそばに神殿を建てて「岩代大明神」と号したといわれています。
後に光仁天皇(施基皇子の第6子)は、即位の翌月6日に詔して、亡き父施基皇子に「春日山天皇」またの名を「田原天皇」の号を贈り勅使を派遣し田原天皇社という御廟を建てられたことを物語っています。
次いで宝亀3年(772)9月、勅使前の右大臣吉備真備を遣わして正一位田原天皇と尊崇し、同時に以前よりあった「岩代大明神」を田原天皇社として、神封120戸、位田12町を捧げられました。
その場所は、この田原天皇社旧跡の石碑の場所ではなく、山上の岩の上でありました。
後年、神社は明治まであった田原天皇社旧跡の石碑の場所に移された由です。
写真は、ここに田原天皇の御社が存在したことを示しています。


