猿丸神社(さるまるじんじゃ)

京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺にある猿丸神社は、古来から「こぶとり」の神として広く信仰されてきた神社です。
「猿丸神社由来」については、鴨長明の方丈記には、明らかに猿丸社に関係深い記述があります。
「歩みわづらいなく、心遠く至るときは、これより峰続き、炭山を超え、笠取を過ぎて、或いは石間に詣で、或いは石山を拝む。若はまた、粟津の原を分けつつ、蝉翁の翁が跡を弔い、田上河をわたりて猿丸大夫が墓をたづぬ。」と鴨長明がこの地を訪れたと思われます。墓が祠になったことも推察できます。
鴨長明は建保4年(西暦1216年)に64歳で亡くなっているが、方丈記はその前のことから、当時すでに猿丸太夫の事址はあったことが明らかです。
さらにまた、禅定寺区有文書の中に、寛政元年(西暦1789)禅定寺村庄屋・半右衛門等から奉行所へ出した社寺調べに、「建藤大明神末社」のひとつとして、他の7つの末社とともに1枚の絵図の中に、「猿丸社、長五間横三間社地之内ニ壱尺壱寸ニ壱尺五寸之社有之候」と書かれています。
従って、約200年前の寛政期には神社として存在していたことは明らかと言えます。
「奥山に 紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき」の歌で有名な 猿丸大夫(さるまるだゆう)は古来、歌道の神として崇められ、その徳を慕う多くの文人墨客がこの地を尋ねています。
近年に入ってからは、瘤・でき物や身体の腫物の病気を癒す霊験があるとして、“こぶ取りの神”と篤く信仰されるようになりました。
今日では、京都・南山城を中心に遠方からも広く篤く信仰を集め、家内安全・無病息災・交通安全・厄除け・更には勉学・受験合格の守護神として、親しみを込めて“猿丸さん”の呼称で信仰されて、毎月13日の月次祭には、霊験を慕う人々の参詣で賑わいます。
御祭神 猿丸大夫(さるまるだゆう)
出生来歴については不詳ですが、『古今和歌集』の「真名序」にその名がみえ、奈良時代末期から平安時代初期にかけての歌人とされ、天武天皇の皇子・弓削皇子、柿本人麻呂の世をしのぶ名、その他諸説があります。
平安時代中期には、藤原公任によって三十六歌仙の1人に数えられ、その後は藤原定家の『小倉百人一首』にも撰ばれて広く世に知られるようになりました。
平安時代の末期、山城国綴喜郡”曾束荘”(現在の滋賀県大津市大石曽束町)に猿丸大夫の墓があったとされ、山の境界争論により、江戸時代初期にほぼ現在地に近い場所に遷し祀ったものと思われ、その霊廟に神社を創建したのが始まりです。
鎌倉時代前期の歌人・鴨長明は『無名抄』に、「田上のしもの曽束といふ所に、猿丸大夫の墓があり、庄のさかひにて、そこの券に書きのせたれば、みな知るところなり」と書き留めています。


