真言宗正寿院(しょうじゅいん)の不動明王坐像(国指定重要文化財)


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真言宗正寿院(しょうじゅいん)の不動明王坐像(国指定重要文化財)は鎌倉時代の仏師 快慶の作。
弘法大師様の図像に忠実な像容をもつ像である。

玉眼を嵌入した現実的な顔立ち、布の複雑な動きを質感ゆたかに描写した膝前の衣文の処理など、造形面で鎌倉時代初期の要素が濃厚に表れている。

本像は、幻の大寺 内山永久寺から伝来したものと推測もなされている。

寛正3年(1462年)の補作である瑟々座の裏面に墨書銘があり、「安阿弥陀仏快慶」の作であること、「当寺五大院」に安置されていたことなどが記されている。

この墨書はさらに五大院が炎上した際に、光背・台座を失い補ったところ、さらに寛正2年10月18日に「当院西屋」の火災に際し再度光背・台座を焼失したので再造したことを記す。
再興を公済が発願し、仏師好尊に行わせ、その旨を公済が銘として記したものである。

※公済…内山永久寺上乗院の僧。

また醍醐寺の快慶作 不動明王坐像とも作風が非常に近い。

けれどもこちらの方が写実的で力強いところ、体躯も抑揚があり太造りであることから、若々しさが感じられ時代を先行する作例であることも考えうる。


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真言宗正寿院(しょうじゅいん)-2


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当院の御本尊は 木造十一面観音菩薩立像 鎌倉後期~末(町指定文化財)
ヒノキ材、一木割矧造で截金。玉眼。像高 58,7㎝
御本尊の十一面観音菩薩は、50年に1度のみ開扉される秘仏である。
左手に華瓶を執り、右手は垂下させる通形の十一面観音立像。表面に彩色や金箔押しを行わず、素地に截金文様を施す檀像風の作例。
檀像とは、狭義にはビャクダンを材とする像をいうが、日本では奈良時代後期から平安時代前期にかけて、像のほぼ大半をカヤの一材から彫成する代用檀像が流行した。
その後、平安時代後期になって、幹部を複数材で造る寄木造や、もともと一材だがいったん割り放して内刳の後、再度矧ぎ合わせる一木割矧造が盛行するようになって以降、像表面に彩色や漆箔を施さず素地仕上げとする
(ときに截金文様を施す)点は同等ながら、時代を反映して寄木造や一木割矧造による檀像風の作例が生み出された。
本像もそのような作例のひとつとして位置づけられる。
引き締まった面相、腰を捻った身の構えも自然で、過不足ない着衣の襞(衣文)の彫法も賞される。
当初の頭上面の表情にも生彩が感じられる。
総じて鎌倉時代後期~末の作風が顕著と見える。
秘仏の為、掲載は御本尊の模写である。


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真言宗正寿院(しょうじゅいん)


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正寿院(しょうじゅいん)の山号は慈眼山(じげんざん)。
高野山真言宗に属し、創建は800年ほど前と伝わっています。
その昔、お寺の少し奥に瀧谷という滝があることから、瀧谷寺(りゅうこくじ)とも言われていました。
滝があり、地名が川上(かわかみ)、また鎮守の神様が水にゆかりがある弁財天からして「水」と深い関わりのあるお寺ということが分かります。
戦国・江戸時代において二度の火災に見舞われている為、はっきりとした創建年は不詳ですが、およそ800年前に創建。
今は廃寺となった医王教寺(717年創建)の塔頭寺院として建立されたと伝えられています。
現在、記述として残っているのは、当院を慶長元年(1596年)に中興された祐胤大徳という僧が、慶長18年(1614年)9月11日に遷化されたということが位牌から見て判ります。
この中興の祖・祐胤大徳を1世として、現在住職の24世までの歴代住職名は下記の通り。
(※中興とは、衰えていた物事や状態を再び盛んにすること)
中興祐胤大徳-圓長-円清-實清-音性-圓入-實音-實性-圓融-栄照-経恵-自仁-了道-盛胤-乗秀-良純-快真-光専-専應-弘尊-秀演-観順-寛順-現住職

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