日教組を支援している過激派は極左思想

日教組を支援している過激派は極左思想を持った犯罪集団です。

全日本学生自治会総連合(全学連)
日本の学生自治会の連合組織のことである。略して全学連(ぜんがくれん)。
全学連には、民青系・中核派系・革マル派系・革労協現代社派系・革労協赤砦社派系の5団体が並存している。

革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)
日本の新左翼集団である。通称中核派(ちゅうかくは)。
「反帝国主義・反スターリン主義の旗のもと 万国の労働者団結せよ!」をスローガンに、マルクス・レーニン主義を掲げ、暴力革命による日本革命・世界革命の達成と共産主義社会の実現を目指して数々の赤色テロを行い、活動家や警察官、民間人を殺害・負傷させている。

日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)
日本の新左翼(革共同系)の過激派である。通称革マル派。
中核派との内ゲバ殺人や盗聴などの反社会的な非合法活動で知られている。

革命的労働者協会(社会党社青同解放派)
日本の新左翼系過激派集団(社青同系)。略称は「革労協」。
革労協は内ゲバ殺人や放火などの反社会的な暴力活動(爆弾を使用し警察官を殺害するなどテロリズムに近い)で知られる。
最近でも、主流派(現代社派・狭間派)と反主流派(赤砦社派・木元派)の内ゲバが99年~04年に行なわれ死傷者を出している。
革命的労働者協会(解放派)
日本の社青同系新左翼党派。1999年、革命的労働者協会(社会党社青同解放派)と分裂して結成された。
通称、赤砦社派。木元派、山茂派とも言う。現代社派との内ゲバや飛翔弾(ひしょうだん)発射事件で知られる。

<過激派指名手配犯人>
中核派指名手配犯人 ・革労協指名手配犯人

日本を墜落させた戦後教育

日本を墜落させた戦後教育
「教育は国家百年の大計」 といいます。
 今の日本を創ってきたのも教育ならば、これからの日本を創るのも教育です。
 「平等・人権・平和」 の名のもとに日本人の背骨とも言うべき 「精神」 を骨抜きにした 「戦後教育」 にお引き取り願い、本来の教育の目的を取り戻し、来世紀の子孫を苦しめることがないよう、切に願います。

◆ 塗炭の苦しみにあえぐ日本
 今の日本は、戦後の経済繁栄を築き上げたあと、その間に蓄積されてきた欠陥や、なおざりにしてきた課題が一挙に露呈し、相互に絡み合って、解決不能の局面にあえいでいるかのように思えます。
 政官民の分け隔てない、倫理観の喪失をはじめ、特に最近目立ってきた、学生や若者たちの破滅的な言動を見るときに、日本人というよりも、人間的な規律と規範の乱れが、急速に、しかも激しく若者たちや社会を蝕み始め、各所にその症状が現われ始めように思えます。
 この原因はいったい何なのか、そして、この窮地から脱するにはどうすればよいのでしょうか。

◆ 戦後教育50年の結論
  「 政策上の失策は、影響は大きいが、それに気付いて改めれば鏡面の曇りをぬぐうのと同じで痕跡は残らない。
 しかし、教育の場合は、アヘンのように全身に毒がまわって表面にあらわれるまでは歳月を要し、回復には幾多の歳月を要する 」 とは、かつての福沢諭吉の言葉ですが、まさに50年たった今、その症状が現われてきたと言えるのではないでしょうか。
 いま直面しているさまざまな不祥事や、若者たちの暴走の淵源を深く考えたとき、その原因はいずれも、戦後50年の間に教育が無視してきた、 「 道徳観や倫理観 」 の希薄化に行き着くと言わざるをえないと思います。
 最近、 「 平等主義が学校を殺した 」 という言葉を目にしましたが、私たちは確信をもって 「 人権・平等・平和 」 という戦後教育は完全に失敗であったと、勇気をもって結論を出す時期が来たように思います。

◆ 教育の目的とは何か
 現在の教育の問題点を考えたときに、まず思うことは 「 教育の目的を見失っている 」 ということです。
 教育は何のために行なわれるのでしょうか。
 その原点とはなんでしょうか。
 教育の真義とは 「物事の善悪を分ける力を身につけさせて、よりよき判断をするための智慧を獲得させること」 にあると思います。
 多くの間違いを避けるための 「 転ばぬ先の杖 」 を体得するための知識を教えることが 「 教育の原点 」 にあると思います。
 毎年毎年、次第次第に、悪を捨て、善を取ることが容易になってきてより早く善悪がわかり、より早く決断ができるよう導くことが、教育の理想であると思います。
 そして、善を取り、悪を捨てることが確実にできる人が、結局は立派な人であり、すなわちこれ 「 偉人 」 であるのです。
 ジョン・F・ケネディー( アメリカ第35代大統領 )は、 「誤った教育を受けた子供は、道に迷った子供である」 と述べましたが、特に今の日本の子供たちは、この善悪が判断できなくなり、行くべき方途を見失った迷子のようです。
 まさしく教育の失敗であり、教育の本来の使命が果たされていない結果ということではないでしょうか。

◆ 人の心は自由にできない 原点は後ろ姿での教育
 昨今の教育関係者の発言を聞くときに、大変心配する事があります。
 それは、最近の学校の荒廃の責任を、子供たちに押し付けているように思えることです。
 子供たちに、 「 思いやりをもってほしい 」 とか 「 命の大切さを知ってほしい 」 などと、子供たちが変わることばかりを、要求しているように聞こえますが、そこには、大切な原則が見落されています。
 それは、 「 人の心は自由にできない 」 という黄金律です。
 自分自身を振り返ると、よくわかると思いますが、自分自身の心さえ思うようにならないのが真実ではないでしょうか。
 自分の心がままならぬのに、ましてや、他人の心ばかりを変えようと焦ることは、愚かなことなのです。
 まずは大人や親が、えりを正すべきであります。
 自分自身が人間としてどれほど立派な生き方をしているのか、これをよく、えりを正して考えてみることが必要だと思います。
 そして、背中でもって教育をする、後ろ姿でもって教育をするという方針を貫き、その 「 影響力 」 や 「 感化力 」 で子供たちを導いていくことが教育の原点であり、いま最も必要とされていることだと思います。

◆ 未来への希望は道徳教育の充実
  「 修身・斉家・治国・平天下 」 という言葉が、儒教の四書のひとつ、 「 大学 」 にあります。
 これは、心を正しくすることが、身を修めることになり、それが、家をととのえて、国が治まることにもつながるという意味です。
  「 修身 」 ・ 「 家庭における徳育 」 と言えば、古くて時代錯誤に過ぎないと軽視することは、あまりに愚かなことであります。
 今、父性的な 「厳しさ」 は影をひそめ、母性的な 「優しさ」 ばかりが、過保護や過干渉という形であらわれ、家庭のバランスが崩れています。
 そして、結局はそこから社会の混乱を呼び起こしているのです。
 この出発点には、当たり前のしつけができる親がいなくなり、情操教育( 人間の真なる生き方を子供に教えること )というものがなされなくなった状況があるように思います。
 あのノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士も、小さい頃から、祖父によって 「 四書五経 」 という中国の古典を素読させられ、そしてしっかり勉強していたという話が伝えられています。
 ですから、私たち大人や親はそうした古い教養書、または道徳書、あるいは宗教書、こうしたものをつね日頃勉強して、その中で心に留まる 「 光の言葉 」 というものを記億し、折りにふれて子供たちに伝えてあげることが、何よりも大事なことであると思います。
 今、教育界やマスコミには勉強自体を否定する空気があるように思いますが、これも間違っています。

◆ 「知は力なり」 「知ることは喜びである」
 本来、知ることや学ぶことは、人問にとって喜びなのです。
 ですから、まず、こうした徳育というものを家庭を中心に行ない、また、家庭以外の学校においては 「 真理をともなう知識 」 を獲得するための教育をしっかりと行なう。
 これこそが、多くの人々や社会に有為な人材を育て、希望の未来を開く鍵であると思います。

日本文化及び日本人の若者を破壊し、共産主義を日本に浸透させる。

戦後、在日朝鮮人は、日本の諸政党の間を移動しながら、反日活動を展開してきた。
最初は日本共産党に所属し,日本国家の転覆、共産党政権(朝鮮人政権)の実現を目指した。

戦後史に詳しい方なら、戦後、日本共産党を再建したのは、在日本朝鮮人連盟であることをご存知のはず。
1945年から1953年までの8年間、日本共産党は在日朝鮮人が支配していました。

自称沖縄人の朝鮮人=徳田球一をリーダーとする日本共産党内の朝鮮人グループ、いわゆる『行動派』が、1950年から展開した軍事方針と称する武装闘争戦略は、朝鮮人による「日本国家乗っ取り運動」でした。
この戦略はけっきょく失敗し、日本共産党のイメージダウンを招いただけで終わりました。

宮本顕治をリーダーとする日本共産党内の日本人グループは、大反撃に出て、朝鮮人グループに握られていた共産党の指導権を取り返し、権力闘争に勝利しました。

すると、朝鮮人グループはあっさりと日本共産党と袂を分かち、全学連を結成して反国家活動=日本国家乗っ取り運動を続行しました。

同時に、日本共産党から日本社会党への「民族大移動」を敢行しました。
こうして、日本社会党内に誕生したのが「社会党・左派」です。
つまり、日本共産党・行動派と日本社会党・左派は、実は同じグループなのです。

単に看板を変えただけであり、その正体は暴力革命を目指す朝鮮人グループだったのです。
日本社会党および現在の社民党が、むかしから朝鮮総連と深い関係にあるのは、そういう裏事情があるためです。

これは重要な事実ですので、しっかりと頭に入れておかなければなりません。
革マル派、中核派、解放派、赤軍派、これらの組織は、全て朝鮮人の団体なのです。

民主党の旧社会党勢力が成り済まし在日朝鮮人であることを知っていますか?

ほとんどの在日朝鮮人が共産主義者であったことをソ連(ロシア)が利用し、米軍が駐留している日本を軍事的に侵略することは無理なので日本内部からの革命を企てた。

その為に、在日朝鮮人(徳田球一ら)を多く入党させた日本共産党にその革命を負わせた。

しかし。日本人の戦前の共産党アレルギーによりうまくいかず、ソ連(ロシア) は日本国民にうけの良かった社会党に乗り移ることしした。

日本共産党の成り済まし在日朝鮮人を社会党に移し松本浩一郎をモスクワに呼び「密命」を授けた。

その「密命」は 「何も武装闘争などする必要はない。
共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育を施せば、三、四十年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる。

「青少年に対し祖国の前途に対する希望の灯を奪い、祖国蔑視、祖国呪詛等の精神を植え付けることが、革命への近道だ」
日本文化及び日本人の若者を破壊し、共産主義を日本に浸透させる。

教育は国家百年の大計 序章

◇教育は国家百年の大計

教育は国家百年の大計 序章
 教育はまさに『国家百年の大計』であり、日本と日本人の将来を左右する未来への重要な投資です。
この国家の将来を左右する大切なことを「教師は労働者である」とした教職員組合という組織に大きな問題があるのです。
「教師は聖職者か労働者か」ということが近年よく論議されることですが、教師は労働者でもなければ聖職者でもありません。
労働者は「もの」を作る人間です。しかし、教師は「人」を育てるのです。
「人」を育てる教師ならば、自ずから重大な責任を自覚して当然です。
それなら、教師は聖職者か、ということになりますが、教師も神ならぬ身である以上、それは要求する方が無理なのです。
それでは、いったい教師とは何か?ということになりますが、答えは唯一つ「教師は倫理者でなければならない」この一言に尽きるのです。
先の述べましたように、教師は「人」を育てるのです。
この「人」を育てるということが、如何に価値ある志事であるかを忘れた教師はもはや教育者ではありません。
それなのに「教師は聖職者か労働者か」などという、空疎な論議を十年一日のごとく繰り返しているようでは、いつまでたっても不幸なのは子どもたちです。
 子どもたちは、聖職者としての教師を求めているのでもなければ、労働者としての教師を求めているわけではありません。
子どもたちが心から探し求めている教師像は、一人の人間としての先達であり、人間として正しい生き方とは何かという論理を教え、また実践を示してくれる人なのです。
今日の教育の荒廃は戦後教育の直接の責任者である教師自身です。
彼らは教職員組合の名のもとに種々の政治活動や賃上げ闘争によって自分らの主張を通すために授業を放棄して労働組合のようにストライキを行ってきたのです。
そして、その要求は次第にエスカレートして「週休二日制」を主張するに至ったのです。
教師の週休二日制は、必然的に子どもたちの教育の週休二日を余儀なくさせることに問題があるのです。
労働の価値は、週休二日によって高まります。
極端にいえば、五日間の労働で一週間分の労働力をうみだせば、それで良いのです。
しかしながら、教育はそうはいきません。教育に週休二日制を採用することで、そこに週二日の「教育の空白」ができるだけです。
 私はあえて「教育の空白」と申しましたが、戦後の日本の教育は、まさにこの「教育の空白」そのものでは無かったと思えるのです。
労働者であれば、効率を考え最新の技術を駆使して今までより短い時間でものを作ることや、パソコンやインターネットを使い、書類の作成や管理の仕事をこなすことができます。
しかしながら、教育は教科書をマニュアルに沿って効率を考えて時間を短縮することは無理なことです。
授業時間内で教科の内容を進めるだけでは教育とは言えないことは周知の事実です。
そして、学校は学び方を学ぶところであることを忘れてはなりません。
試験に合格することが目的ではなく、あくまでも学んだ内容をどこまで理解できているかが大切なのです。
人生の中で、学校で学ぶ時間は短いのです。
小学校六年、中学校三年、義務教育は合計九年です。準義務教育の高校三年までで十二年です。
その後、生涯にわたり学び続ける意欲と新しいことについて学び、理解できる基礎的な教育を施すことが教師としての務めです。
戦後七十年、倫理観のない教師が、他の産業と同じ価値観の労働者として教壇に立っていたという事実が今日の教育の荒廃を招いたといっても過言ではありません。
教職員組合を組織し自らの「我」を通すためにはストライキも辞さないという教師たちにどうして真の教育が出来ましょう。
そして、子供たちが希望を失い、やがて無関心、無気力、無感動の三無主義の高校生になっていくのです。
この現実こそが国家百年の大計たる教育をないがしろにしている事実を知らねばなりません。
なぜなら、教職員組合に代表される今の日本の教育界は教育にとって一番大切な「倫理」を失っているからです。
彼ら一部の教師たちは子どもに教える倫理を持たないばかりか、自分自身も教育者としての倫理も失ってしまっているのです。
一方、今日の教育の荒廃は父兄である親たちにも一端の責任があります。
多くの親たちが自分の子どもを有名校に入れて、学校を卒業してのち、人より高い地位につき、人より金持ちになることが、我が子の将来にとって唯一の幸せの道であると考える親に、真の家庭教育が出来る筈もありません。
本当の人間とは、我を捨てて社会のために尽くし、人に喜ばれ、人から尊敬される人間をいうのです。
そしてまた、そういう人間になってこそ、初めて人は真の幸福を得ることができるのです。
日本の親たちは、子供の教育上のトラブルや非行化の問題などを、ともすれば学校の責任にします。
確かに教師にも責めるべき点はあるにしても、学校教育と同等に、いや、それ以上に大切な家庭教育も満足にしないでおいて、非行化したのは学校の責任だというのではあまりにも身勝手という他はありません。
しかし、教職員組合主導による教育の荒廃は、今は親になり祖父母になっている人々の教育をないがしろにしたところに原点があるのです。
次回は、なぜ、戦後の混乱期に教職員組合が組織されたのか?
何を目的に共産主義や社会主義を信奉する組合ができた経緯を辿りたいと考えています。